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「同期生に会いたい」。鹿児島高等女学校の旧友28人は空襲に散った。故郷を離れ、「戦争中のことは話さなかった」97歳・長峯聰子さん(旧姓)…愛知から初の慰霊祭参加へ
自然・火山 南日本新聞 👁 2

「同期生に会いたい」。鹿児島高等女学校の旧友28人は空襲に散った。故郷を離れ、「戦争中のことは話さなかった」97歳・長峯聰子さん(旧姓)…愛知から初の慰霊祭参加へ

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 鹿児島高校(鹿児島市薬師1丁目)は、1945年4月8日に動員先で米軍機による空襲を受けて多数が亡くなった、前身の鹿児島高等女学校生徒の慰霊祭を毎年校内で開いている。今年は当時動員され、現在は愛知県春日井市に住む上田聰子(かんだ・としこ)さん(97)=旧姓・長峯=が初めて参列する予定で、同校は旧友と再会の場になればと関係者を探している。

 鹿児島高の「動員学徒殉職50年追悼式典記念文集」によると、上田さんら4年生約200人は45年2月から二軒茶屋電停近くにあったグライダー工場に動員され、部品を作っていた。空襲は4月8日午前10時半ごろ。「突如桜島上空に現れた米軍機十数機の空爆」で、生徒が働いていた工場は「足の踏み場もない瓦礫(がれき)の山」となり、引率の教師1人と生徒28人が死亡。系列の鹿児島高等家政女学校の生徒4人も犠牲になった。

 空襲の当日、上田さんは担任に用事を頼まれ、工場を離れたため難を逃れた。4年生で繰り上げ卒業となり、戦後は結婚して愛知で生活。犠牲となった鹿高女生の同期生は「さくら会」をつくり、慰霊式を開くなどしていたが、上田さんは参加していない。

 同居する次男の正文さん(69)は「戦争中のことはあまり話さなかったが、最近は同窓生の消息が気がかりな様子で、慰霊祭参列を望むようになった」という。

 相談を受けた鹿児島高の佐澤雅祥教頭(63)は「さくら会は活動が途絶えたようで連絡がつかない。遠くから来られるので、何とか希望に沿いたい」と話す。慰霊祭は4月8日午前10時15分から、同校正門横の「動員学徒碑」前で。問い合わせは同校=099(255)3211。