1日4000杯が売れる「白熊」の秘密 鹿児島名物かき氷、80年変わらぬ味に迫る
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照りつける日差しが続く夏の鹿児島で、長い行列を作ってでも食べたいと多くの人が足を運ぶ一杯がある。雪のようにふわふわの氷に自家製ミルクをたっぷりとかけた「白熊」だ。上からのぞくと飾り付けが白い熊の顔のように見えることからその名がついた、鹿児島を代表する夏の風物詩である。多い日には1日約4000杯が提供されるというこの人気スイーツは、今から80年前、戦後間もない鹿児島で生まれた。白熊を提供する「天文館むじゃき」には、県外からも多くの来店客が訪れる。岡山から親子3世代で訪れた客は「暑いしやっぱりおいしい」「優しい味がホッとする」と頬を緩める。宮城から新婚旅行で訪れた客も「カップで売っていて、それが元々好きだったので。最高です」と笑顔を見せた。
実際に口にした記者は、その味をこう表現した。「コクがあるが、ふんわりした氷が包み込んで後味はあっさりしている。体が一気に涼しくなる」。甘さの中にさっぱり感が同居するのが、白熊の最大の特徴だ。
天文館むじゃきは今から80年前、鹿児島市名山町の小さな食堂として産声を上げた。創業者は和食調理師だった久保武さん。天文館むじゃきの前田真吾社長は創業の経緯をこう語る。「創業者の久保武は、和食調理師だった。戦後間もない頃にちょっとお店をしようかということで、妻であるヨシ子と一緒にお店を開いたのがきっかけ」。
終戦後の混乱期、鹿児島の人たちに食で涼を届けたいという思いが、白熊誕生の原点にある。「鹿児島は南国で暑い場所なので、食べて涼しくなるようなものは考案できないだろうかということで出来上がった」と前田社長は振り返る。
創業者・武さんの孫で現在は専務を務める前田華代さんは、祖父から当時のエピソードをこう聞いている。「物資のない頃なので氷も列車に乗って熊本まで取りに行く。トッピングも今みたいにカラフルではなく、ふきの甘露煮みたいな形の砂糖菓子とレーズン、チェリーぐらいしか上につけられなかった」。
それでも武さんが妥協しなかったのが、白熊の味を決める自家製のミルクと蜜だった。最初は白蜜や赤蜜をかけるシンプルなかき氷だったが、イチゴにミルクをかける食べ方にヒントを得て、氷に練乳をかけることを思いついた。しかしそれだけでは甘すぎる——最後の一口までおいしく食べてもらうにはどうすればいいか。その思いから改良を重ね、独特のさっぱりとした自家製ミルクが生み出された。
華代専務は祖父の姿をこう記憶する。「祖父が一生懸命ミルクを作っている工場があって、そこに私も一緒にいた。牛乳を入れる缶のようなものに詰めてミルクを運んでいた。1本1本が重い感じのミルクを1人で何十本も作っていた」。
試行錯誤の末にたどり着いた味は、やがて鹿児島の夏の味として口コミで広まっていった。前田社長は「食べてみたら『おいしいよ』ということになって、次第に口コミで広がっていった」と語る。その後、二代目が宅配サービスを始めると、白熊は瞬く間に全国へと知られるようになった。
大阪から帰省した客は「やっぱり地元の味というか、帰ってきて食べたい」と話す。40年来の常連客は「子どもを連れて来ていた。その子がもう今年還暦、60歳」と目を細める。
前田社長はこの積み重ねをこう表現する。「『味の記憶』って80年前に召し上がったお客さまが再度来店したときに『あ、この味ね』って。そこが一番我々にとって求められるところで、重要なところ」。
提供の仕方は時代とともに変わっても、80年前に鹿児島で生まれた味そのものは今も変わらない。戦後の混乱期に、鹿児島の人たちを食で喜ばせたいという思いから生まれた白熊は、今この夏も鹿児島に涼と笑顔を届け続けている。