対馬丸事件から82年 鹿児島県宇検村船越海岸で慰霊祭「次の世代へバトン渡す」平和の願い乗せ、オオゴマダラ舞う
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太平洋戦争末期、米潜水艦に撃沈された疎開船「対馬丸」の犠牲者を悼む慰霊祭が29日、宇検村宇検集落の船越(ふのし)海岸で営まれた。遺族らが集まる対馬丸記念会(比嘉正詔代表理事)をはじめ、地元住民や関係者ら約60人が参列。犠牲者たちの冥福を祈り、願いを乗せたオオゴマダラを放蝶(ほうちょう)され、恒久平和へ誓いを新たにした。対馬丸は1944年8月21日、長崎を目指し約1800人を乗せて那覇港を出港。翌22日夜、米潜水艦ボーフィンによる魚雷攻撃を受け悪石島沖(トカラ列島)で沈没し、少なくとも1484人が死亡。沖縄から県外に向けて、疎開船延べ187隻8万人超が疎開輸送(44年7月~45年3月)された中で起きた事件だった。
事件当時、生存者や遺体が奄美大島へ流れ着き、多くの住民が救護や埋葬にあたった。多くの犠牲者が漂着した宇検集落の船越海岸では、2017年に慰霊碑を建立。慰霊祭は同集落が主催し、今年で10回目を迎えた。
沖縄からは遺族の8人をはじめ12人が来島。奄美大島からは、久志小中学校の児童生徒ら地元住民、各首長らが参列した。
宇検集落の高田浩志区長(65)は式辞で「辛苦の中で命尽きた姿を思うと、幾多の年月が過ぎても心が痛む。宇検集落は沖縄県との交流事業や平和学習を大切にし、対馬丸事件の記憶を未来へつなぎたい」とあいさつ。元山公知村長が哀悼の意を示した。
今年6月、現職に就任した比嘉代表理事(83)は、追悼の言葉を述べるとともに「対馬丸慰霊碑が立つ船越の浜は、まさに聖地。次の世代に平和のバトンを手渡し、戦(いくさ)のない世の中を作る大事な場所」と謝意。今年4月、新たに継承を目的とした50~60歳代が中心となる「對馬丸遺族会」が設立されたことも伝えられた。
また、この日は「世界へ平和の願いを発信したい」(比嘉代表理事)と、参列者たちで沖縄県の県蝶「オオゴマダラ」を放蝶。大空へ無数に舞うチョウたちを、平和への願いを込めて見届けた。
沖縄県立開邦中学校1年の城間茉鈴(まりん)さん(13)は「教諭だった曾祖母が19歳の時に漂流し、漁船で救出され宮崎まで運ばれたと聞いている。犠牲者を思うと心が辛く、戦争は良くない、平和が一番だと伝えていきたい」と語った。